大河ドラマ『麒麟がくる』『どうする家康』でも取り上げられている、金ヶ崎の退き口のエピソードですが、織田軍一行がその前後に立ち寄っているのが、佐柿国吉城です。国吉城があったから、信長、秀吉、家康の三英傑は逃げ延びることが出来たと言っても過言ではない!その国吉城の守りの堅さを、実際に歩いて確かめてきました。
佐柿国吉城とは
歴史
国吉城は、若狭国守護大名武田氏の重臣・粟屋越中守勝久が、1556年に築いた城です。その後1563年から5度にわたる朝倉氏の攻撃も、見事に撃退!そして1570年に、織田信長が朝倉氏を攻めるために国吉城に入り、4月25日に敦賀に向け出陣。4/26に天筒山城と金ヶ崎城を攻め落としたものの、近江の浅井長政の裏切りが発覚し、撤退することになります。
そのとき、豊臣秀吉が殿(しんがり・軍の最後尾)を務めることを志願したので、織田信長はわずか10人の兵を連れて、さっさと京都へ逃げ帰ってしまいました。徳川家康は金ヶ崎城に置き去りにされてしまい、ひとまず国吉城まで引き上げることにします。しかし、国吉城の手前の黒浜あたりで秀吉が敵軍に取り囲まれているのを発見し、家康は秀吉を救出しに行きます。その後二人は無事に国吉城に戻ることができ、朝倉軍も諦めて引き上げていったそうです。
彼らの脳裏には、「国吉城に入れば大丈夫!!」という思いがあったと言われています。そもそも金ヶ崎城は、三方を海に囲まれた天然の要塞ではありましたが、南北朝時代の城の構えをそのまま利用していたため守りが甘く、安全とは言えなかったようです。それで、撤退することに決めたんですね。
となると、国吉城はどんな守りを固めているのか気になりますよね!
ちなみに、以前天筒山城から金ヶ崎城への足跡もたどりましたので、あわせてご覧ください。
アクセス
JR:小浜線美浜駅から、徒歩25分
敦賀行きバス「佐柿口」下車徒歩5分
美浜コミュニティバス「佐柿」下車徒歩3分
車:国道27号線で敦賀から約20分、小浜から約40分
舞鶴若狭自動車道・若狭美浜ICから約5分
若狭国吉城歴史資料館へ
駐車場から資料館に向かっていると、
準藩士屋敷跡
こんな石碑を発見しました。幕末に水戸藩の尊王攘夷派・天狗党が反乱を起こした際、武田耕雲斎らは敦賀で処刑されたのですが、斬首を免れた浪士たちはここに預けられていたそうです。「天狗党の乱」のエピソードは、『青天を衝け』に登場していましたね。
のどかな風景です。
若狭国吉城歴史資料館
もともとは佐柿奉行所があった場所で、旧田辺半太夫の住宅だそうです。中には、奉行所時代のお座敷や、映像展示コーナーなどがあります。国吉城の歴史を学んでから城跡に向かうと、より理解が深まりますよ!
左上の山の上に国吉城がありました。結構大きいですね!
国吉城跡へ
城主居館跡
石垣が結構残っているんですね。
緑の部分が、階段状に平地になっているのですが、結構面積が広かったです。
登山道
そして更に登っていったのですが、
扉を開けて進んでください、とのことでした。本格的な山ですね。熊に注意!ということで、鈴をつけて歩いている方もいらっしゃいました。
100mごとにお知らせがあるので、非常に親切なのですが、それにしても急な山ですね!
見てください、このつづら折り!キツイ!!!ということで、休み休みゆっくりと。
まだまだ階段が続きます。
伝二ノ丸跡
すると、道標が登場しました。
二ノ丸があったと伝えられている場所だそうです。行ってみましょう。
少し開けた土地がありました。よくこんな場所を確保できましたね。
他の部分はこんな感じでほぼ急斜面。道が細い場所も多く、足を踏み外さないように気をつけて登っていきました。
連郭曲輪群
またしても分岐が登場。まずは左の曲輪(くるわ)群に行ってみました。
曲輪とは、簡単に言うとお城の区画のことです。国吉城には、この曲輪が尾根伝いに5段構えになっていて、各曲輪で敵を待ち構えていました。
2番目の段までしか見れませんでしたが、この先段々になっている模様。5段もあるところから攻めようという気にはなれませんよね。鉄壁の守りです!
赤い丸で囲んだ部分が、秀吉が敵軍に囲まれていた場所です。国吉城まであと少し!
堀切
先ほどの分岐に戻ってくると、堀切がありました。
堀切は、尾根を切断するように掘られた空堀です。普段は橋を渡していて、敵が攻めてきたときにはそれを落とすってことでしょうか。
そして今度は本丸跡に向かおうと思ったのですが、
道はどこですか!?
でも昔のお城には、先ほどまでのような、きちんとした階段などつけられていなかったはずです。当時の人は、こういう道なき道をたどっていたんでしょうね。木の根っこがちょうど階段のようになっていたのですが、踏むのはちょっと気が引けました。
本丸跡
ついに到着しました。
山を登りきると、結構広い平地が出現しました。
今回登ってきたルートとは別方向からの入口もあるようですが、未整備でした。しかし急な道であることは明らかです!
山頂の周囲には結構木が生えているので、どうしても木が写り込んでしまいます。
ちょうどこの山の下に、国道27号線の国吉城トンネルが通っています。
山頂までゆっくり行っても30分程度でした。
まとめ
「国吉城に入れば大丈夫!」という理由が、よくわかりました。
- 急峻な山に立っている!
- 二ノ丸、尾根伝いに連郭曲輪群を築き、守りを固めている!
確かに、金ヶ崎城にも、堀切、切岸(斜面を削った部分)等がありましたが、兵たちが集団で応戦するような場所がありませんでした。それに引き換え国吉城には、本丸の周囲に、曲輪をいくつも作っていますからね、こちらのほうが安全です。
なお、現在は遊歩道が整備されていると言っても、階段が非常にキツイですし、道のすぐ横は崖になっている部分が多いので、足元に気をつけて、ゆっくり登ることをおすすめします。また熊が出没することもあるようですので、鈴か音楽を流しながら歩きましょう。
2023年4月16日放送の『どうする家康』では、金ヶ崎の退き口のエピソードがどう描かれるのか、楽しみです。
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